Vol.43 ツーリストシップを「一から作る」

『カレーライスを一から作る(ポプラ社)』という書籍が好評らしい。武蔵野美術大学のゼミを追った映画『カレーライスを一から作る』を書籍化したものだ。 好評というのは「よく売れているから」というだけでなく、本書にあげられている試み、企画力が好評だという風に解釈している。「よく売れている」という書籍には当然、よく売れるための仕掛けがセットである。仕掛けが勝てば売れる。だから中身は駄作だということを言いたいわけではなく、しかし何もミリオンセラーだけが良書というわけではないだろう。勝手な私の分析では、読み進めていく中でふと、これはどういうことだろうと、思わず天を仰ぎ、空想にふけって読書が進まない現象を引き起こせる書籍は、良書であると踏んでいる。むろん、私にとっての、である。 『カレー』は、タイトル通り、本気で9か月かけカレーを一から作った挑戦の軌跡である。米から、野菜から、鶏から、塩から、カレー粉から、そして器に至るまで全てにおいて手作りである。 悪戦苦闘の数奇な体験を経てようやくできあがった1杯のカレー。育ててきた鶏との別れ、うまくいかない塩づくりの奮闘などを経て、肝心のお味の方は「まずかった」らしい。苦労は勝手でもしろとはいうが、おいしいカレーなんぞ目をつぶっても勝手に手に入る世の中なのに、である。しかしこのオチが、私にとっては救いであった。まずかったという価値を、幾多の難関なプロセスが輝かせているのである。 久しぶりの田中代表とのセッションでは、久しぶりだけにエピソードは事欠かなかった。まずは最近風邪で部屋にこもっていたという話から始まる。でも、部屋で寝込んでいてもメンバーが運営を回してくれているから大丈夫なんですと、心強い仲間の活躍に眉を細める。 最近は、アイデアに飢えていた。フリーライダーやピグー税という聞きなれない言葉が飛び出す。どれもツーリストシップを拡散していく突破口になるに違いない。ただ風邪で寝込んでいたわけではなく、この間も思考をフル回転させていたわけである。まさに「天を仰ぎ空想にふける」というやつである。 観光庁の資料に、ツーリストシップが掲載された。いよいよツーリストシップが、国を巻き込んだ瞬間である。もっと大きく取り上げてもらわねばと士気を高める田中代表だが、この一歩は未来のツーリストシップにとって大きい。 気が早いけど今年一年はどうでしたかと尋ねたら、「挑戦の一年でしたね」と笑みを浮かべた。東京の生活にも慣れ、新メンバーにも支えられ、メディアの露出も、観光庁の掲載も、失敗を繰り返しながら歩みを停めなかった、ツーリストシップの挑戦の軌跡。まさにそう、米から、野菜から、鶏から、塩から、カレー粉から、そして器に至るまでの『カレー』のごとく、後ろを振り返ることなく突き進んだ一年だった。 いや、ちょっと待て。『カレー』のオチが「まずかった」が救いであるという文脈に従えば、ツーリストシップもまた「まずかった」がふさわしいオチなのか。そんなお叱りを田中代表からもらいそうである。 そうじゃない。結果はそれこそ、何でもいい。まずくても、おいしくても、そこに向かった挑戦の軌跡こそが『カレー』の醍醐味であり、生きる喜びなのだろうと思うのである。恐れるのは結果ではなく、その途上の歩みに怠惰はなかったかという問いだけである。良い結果を生み出すためにも、結果に恐れる必要はない。求め続けるプロセスを輝かせることが、ツーリストシップの未来である。 最後に来年の目標を聞いた。ツーリストシップという言葉が、知らないところで自然と飛び交う状態にすることが目当てだという。みんながどうしたら、ツーリストシップを言いたくなるのだろう。天を仰ぎ、空想にふける田中代表は、来年も挑戦の手綱(たづな)を緩めることはない。おいしいカレーはスーパーで簡単に買える。でも挑戦によって得た涙のカレーは何物にも代えがたい。ツーリストシップもまた、カレーに負けじと「一から作る」。そういう意味で、「おいしい」のだ。 2024年最後の活動コラムもありがとうございました!2025年もよろしくお願いいたします。

Vol.42 ツーリストシップの名参謀・桜井康広がいなければ。

桜井さん、体調はいかがですか。私はどうしても、桜井さんに謝りたいことがあります。そう、取材を依頼した日、桜井さんは喉を傷めてガラガラ声でした。別日にした方がいいでしょうかと事前に連絡を頂いた時、あろうことか私は「それでも会いたい」と強引にセットしてしまいました。当日、優れない体を引きずって約束していたファミレスにお越しいただき、痛む喉を脇に置いて、何一つ嫌な顔をなさらず、献身的にお話をして頂きました。  ツーリストシップで世界を変える。 こんな大それた話を真面目に語る田中代表に、新しい扉の開く音がした。この人は一体、何を言っているんだろうと思う間もなく、こんな不確実なことに懸命に向き合う、うちの娘と同年代の若者がいるということにただただ驚いた。田中代表を通じて、世界の広がり、展開のイメージが沸き立った。できるかどうかはどうでもいい。そうやって目指している人が不思議で楽しくてたまらないということが大事だった。気が付いたら、いつもそばで支える存在になっていた。  55歳を目前にして、自分のキャリアを考えた。中小企業診断士を目指して勉強も始めた。しかし、購入した本は自宅に順調に積読されていった。若い世代からの刺激がこんなにも面白く、未来を感じさせるものとは思ってもみなかった。いわば勉強をしている暇はなかった。コロナ禍で旅行者と会えなくなった時には、各国の大使館に感謝を伝える活動をした。ずっと組織に勤めてきて、事を動かす難しさ、幾重にも渡る段取りの数に何度ため息が出たか分からない。しかしツーリストシップではまるで全てがベンチャーだった。大使館に足を運ぶ機動力に舌を巻いた。考える間もなく次に着手する。できるかできないかよりも、やりたいこと、やるべきことを優先するものだから自然と加速する。駆動の馬力もまるで違う。斬新だった。もう魅力いっぱいだった。  どうしてこんなに献身的に田中代表を支えるのですかと、原動力を聞いても、むしろ私の方が田中代表に支えられていますからと譲らない。桜井さんがいなければ、間違いなくツーリストシップはここまでの成長は遂げていない。そんな功労者から生まれた言葉は「立ち上げ当初にお世話になった方々に何か恩返しがしたい」だった。どこまで人を支えるんですかと、私は何度も突っ込みたくなった。  桜井さんにはちょっとした野望がある。もっとシニア層の方々に普及できないか、そのことを考えない日はない。未来を担う若者には確かに普及させたい。ただ若者に比べて、時間もお金もあるシニア層の方はきっとたくさんいるはずである。自分自身が田中代表に感化されたように、同年代の方々とワクワクする未来を共有したい。その志を語る桜井さんの目は、幾分充血していた。いや、そういうことじゃなくて、それこそ桜井さん、体調悪いからでしょうに。重ね重ね、お詫びするしかございません。 桜井さん、お元気ですか。ツーリストシップに正メンバーとして加入されて、その志はこの先益々重要になってくると思います。桜井康広なきツーリストシップは考えられません。なので、お体くれぐれもお気をつけていただき、たくさんのツーリストシップの花を咲かせてください。私も、田中代表と同じく、桜井さんの献身的で真心一杯の姿勢に惚れ込んだうちの、一人です。

vol.41 【速報】彼女の名は、春田菜々美。

「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日 1987年に発刊されたベストセラー『サラダ記念日』である。与謝野晶子このかたの天才歌人と評された俵万智氏の、日々の小さな幸せを歌う数々に、読者は自分自身にも身に覚えのある小さな日常を重ねていた。あー、わかるそれ。そうなんだよねー。言葉にならぬ言葉達がバブル期真っただ中の日本列島を駆け抜けた。 ツーリストシップも負けず劣らず現代の日本列島を駆け抜ける。そんな中で、その歴史に燦燦と輝く「記念日」が生まれた。正規メンバーとしてのニューフェイスである。普段通りの日常に咲く小さな花を愛(め)でる人であり、開口一番から花を咲かせるその佇まいは、『サラダ記念日』に描かれた小さな幸せを彷彿とさせる。初めて膝を突き合わせるのに、もう既に何度もお会いしていたかのような錯覚を抱かせる。気負いもなく、着飾ることもない。等身大であることが余計に燦燦とその存在感を輝かせていた。あー、わかるそれ。そうなんだよねー。一貫してこの調子なのである。 ツーリストシップとの出会いは大学生の頃、田中代表がゲスト登壇した授業だった。こんな若い人が堂々と物おじしないプレゼンをするなんて。衝撃的だった。たった3つ年上なだけで、こんなインパクトを残していくその背中を追いかけたくなった。やがてボランティアとして田中代表と行動を共にするようになる。いずれ一緒に働いてみたい。そう思うのに時間はかからなかった。 「この味がいいね」よろしく、彼女の息抜きは家庭料理だ。料理を作っているときは無心になれる。旅先クイズ会のこと、そして担当する自治体との交渉ごとが頭から離れない中でも、料理をすると没我の如く工程のことしか頭にない。こういう時を過ごすことで、仕事もプライベートもバランスが取れるという。しかし料理と言っても、お菓子作りは除外される。細かい軽量が面倒だからだ。「目分量の女と呼んでください」とは本人直々の言葉である。なるほど確かに、そんな豪快なところは彼女の笑い声からも窺い知れる。細かいことは気にしないのである。 彼女には夢がある。観光業界で働く人を増やすことだ。特に、衣食住を全て担うホテル・宿泊業界の待遇改善と更なる発展をビジョンに描いている。観光業のおもしろさと複雑さ、正解がないややこしさが何ともいえない魅力を運んでくる。こんな尊い世界に、私を入れなくてどうする。大学を卒業し半年間一般企業で働いたのちに、彼女は遂にツーリストシップの門を叩き、正社員となった。九月五日のことである。 田中代表には尊敬の念しかない。しかし時折「もうちょっと落ち着いたらどうだろう」と思うこともあると言ってやはり笑っていた。完ぺきではない、そしていつも駆け抜けている田中代表の、あらゆる個性が彼女の心に灯をつける。「実は慎重派なんです」と小生に告げたのは、きっと田中代表の情熱やアクティブなところ、そして時折チャーミングに抜けたりもするその全てを、私なら引き受けてみせますという決意であった。 軽快なほどに人の懐に飛び込んでいく彼女の瞬発力は、ツーリストシップの未来である。人に、地球に、社会に、課題に。あの等身大の笑顔がこれからますます、ツーリストシップを面白くする。照らし続ける。『サラダ記念日』を強引に引用するなら、こうなる。 「この旅がいいね」と君が言ったから九月五日はツーリストシップ記念日 彼女の名は、春田菜々美。 一般社団法人ツーリストシップ・地域連携マネージャーその人である。

vol.40 押しては返す波のように、ツーリストシップは発展する

もうここまで場慣れして「緊張しなくなった」田中代表が、なぜサミットで足が震えたのか。サミットを終えた電話でのセッションは、この話でも持ちきりとなった。 いや、ちょっと違う。持ちきりだったというよりも、考えが割れた。 ちなみに田中代表の足を震えさせた緊張の原因は何か。それはサミット前日に、石垣島からお越しのミュージシャンの生演奏を聴いちゃったからだ。ライブでしか感じ取れない生の音、臨場感、振る舞いが、田中代表の心を揺さぶった。心までは良かったが、翌日のサミットでその想いが増すあまり、足まで震え上がらせた。一ファンになってしまうと、どうしても我を忘れる。尊敬という想いが先行し、正常な進行を妨げる。公私混同はプロではない。その思いが田中代表をして「プロたるもの、律する心が大切」と言わしめた。そういえばWBCの決勝戦、日本対アメリカ。メジャーリーガー勢揃いのアメリカを前に、確かに大谷翔平選手は諭した。「今だけ、憧れるのはやめよう」と。だから優勝できた。田中代表の反省節が続いた。だが私の意見は少し違っていた。ファンであるがために我を忘れ、公私が入り乱れる有様は、むしろ見せたほうがいいと思っている。できあがったもの以上に、想いが溢れるリアリティの説得力は絶大だからだ。だから反省など必要ないと言った。そういえば坂口安吾は『日本文化史観』で言っていた。美というものは、美を意識した途端に生まれてこないものだと。法隆寺が焼けても一向に困らぬと書いて、当時世間にどえらい印象を与えた。でも私は法隆寺は是非これからも焼けずに存在してもらいたいと思っている。 これは一体何の話や。こんな具合である。この掛け合いを続けていて思ったことがある。サミットでも恐らく、舞台と観客席との間で、様々な対話が展開されたに違いない。今後のツーリストシップの発展が、どれだけ多くのの国際問題を解決できるか、そのビジョンを最も鮮明に描いている田中代表たればこそ、あのサミットを成立させた。このリアリティには勝てない。そしてこれからも、このリアリティと共にツーリストシップは生きる。来年のサミットも8月6日、まだ内容は決まっていない。次回のサミットまでに、それこそ幾度となく繰り返すであろう、あーでもない、こーでもないという議論。そのプロセスこそが宝である。とんがったり、丸まったり、近づいたり、離れたり。まるで押しては返す波のように、ツーリストシップはこれからも意義あるプロセスを遺していく。 ところで田中代表にとって今回のサミットは、例年になく「楽させてもらった」そうだ。サポーターも増え、ますます馬力を増したツーリストシップである。そう思えば、胸きゅんでサミットに登壇したなんて話は、むしろ微笑ましい部類に入るではないか。事実、その余白ができたことで、田中代表もこうして俯瞰できた。胸キュンもできたわけである。 って、それこそ何の話や。…てな具合の、こういうプロセスも、あっていいのである。

vol.39 あいさつ一つで、ツーリストシップは生まれる

早朝、雨戸をあけて胸がすくんだ。家の前で人が倒れている。既に数名が群がっていた。そもそも何が起こったのかさえ分からないが、倒れていることは間違いない。ただ、群がる人たちの動作を見ていて、助けるでもなく関わらないでもなく、何とも言えずキレが悪い。仕方なく着替えて靴を履き、傍に向かう。見れば泥酔してイビキをかいている。既に警察を呼んでいてそれを待っているという。寝ているとはいえ地面に横たわっているわけだから、もしかすると夜中に喧嘩でもしたかもしれないし、頭を打っているかもしれない。血痕や争った跡があれば大事と思い近くの公園をのぞくが、いつもの平然とした静かな公園だった。救急車は必要ないかと言っている間に警察官がバイクで到着、家族の方と共に運ばれていった。そこに群がる近所の人と、何を話すでもなく、その場から離れた。実にキレの悪い出来事だった。 キレが悪いのは私も同類である。どちらかと言えば関わりたくなかった。ここで振り返って気づいたのは、普段から近所に誰が住んでいるか、まるで理解していないという事実だった。知り合いでもあれば、もっと機敏な行動を取ったかもしれない。ましてや倒れている人が大切な人だったら、こんなもんじゃないだろう。つまり、挨拶もろくにしない者同士が集まると、有事であれ平時であれ、この関係性に融合も何もあったもんじゃない、第一何の役にも立たないという強烈なリアリティがあった。 さて、気分を害する導入を詫びながら、ツーリストシップである。8月6日のサミット直前に田中代表から「コミュニケーションを取っていくことの重要性」を聞いた。万博を契機に、観光街づくりについて考えていきませんかというのが今回のテーマだった。旅行者も住民も、そして観光業を営む人も、分かり合おうとは言ってもいきなり有効的な関わりを創り出すことは難しい。どうしてもそこに立場の違いによる壁というものが介在する。ただ単純に挨拶をして声をかけていく小さな試みで、壁はやすやすと超えていける。それぞれの立場に巣食う億劫さを、たった一言のあいさつで克服できるかもしれない。その可能性を田中代表は改めて示唆してくれた。 沖縄からミュージシャンもやってきた。前回の倍以上のサミット動員数は、ツーリストシップの成長を暗示する実績である。難局を幾多も乗り越え、複雑な国際問題に真正面から向き合い続けてきたツーリストシップが、今更ながらコミュニケーションという手垢付きまくりの大命題と対峙していた。それでも人は分かり合えないでいる。近所づきあいで、挨拶一つできない関係性はあちらこちらに存在している。田中代表はその対話の重要性として「信用の回復」という言葉を使った。回復という言葉が妙に刺さる。あの早朝、キレの悪さを露呈した諸々の光景がオーバーラップする。単純なものほど、対策は難しい。ツーリストシップは、近所の人との関係性にまで言及していた。何とも言えない、バツの悪さである。 これを書いているのは、既にサミット開催後である。お恥ずかしながら私はサミットに行けなかった。明日、田中代表と電話面談の予定である。実に充実した報告を聞くことができることは想像に難くない。ところで倒れていた人は無事だろうか。そんなことをふと思い起こしながら、もしあの場にツーリストシップのマインドが花開いていたらと、その面影を追いかけてみる。ああ、なるほどと、納得した。あいさつはやはり関係性構築の軸である。その一言で壁は溶けていくのであると、今更ながら、気付かされた。

Vol.38 温泉につかりながら、ツーリストシップを想う時

今日は珍しく、鹿児島は指宿にある山川港を望みながら書いている。皆さんにとっては「だから何なんだ」という話だろうが、言うなれば「なんちゃって」出張版活動コラムである。先週、田中代表からヒアリングした内容を反芻しながら、温泉帰りの客を横目に、フロントのフリースペースでキーボードを叩く。 食と文化と歴史に事欠かない鹿児島の醍醐味を、コラムで表すのはあまり得意ではないが、普段と異なる場所で書くと、文字の質感や出力される表現具合は多少変わるかもしれない。そういうことくらいは何となくであるが書ける。山川港と言えば16世紀、西欧諸国で初めて紹介された日本の場所と言われているし、鎖国の中で琉球王国との貿易窓口にもなっていた。外へ外へと向かうには、何かと便利な港だったわけである。 ツーリストシップもまた、外へ外へと向いている。日本の旅行に留まらず、海外展開を視野に入れている。田中代表が最近参加した起業家向け合宿でも持論を展開し、そこで得た結論の一つとして、田中代表は自信を得た。今までやってきたことは間違いじゃなかったという自信だった。でももっともっとすごい人はいる。その向上心に灯が付いた。こういう体験を繰り返しながら、田中代表は成長を止めない。 成長を目的にしているわけではなく、ありたい理想からの逆算だ。そういうわけで、もっと熱く、もっと雄々しさを醸し出す文体に仕上げたいのだが、何といっても今日は指宿温泉である。頬を赤く染めた今の私に、そんな覇気は浴場に捨ててきたのである。 だが、同時にふと思うのである。旅というものを通じて田中代表が成し遂げたいビジョンは、もしかするとこういう私のような旅行客を増やすことなのかもしれない。ツーリストシップを広げること、活気づけること、理解してもらうこと、その一つひとつには、安寧な旅を通じた「あー、生きててよかったなあ」という、ほっとしたため息吐息をどれだけ出せる旅にするかである。旅の種類もいろいろではあるが、どうあれ、行ってよかった、出会えてよかったを世界中に広げることが田中代表のミッションなはずである。そう思えば、今こうしてロビーでキーボードを叩いているこの私こそが、ツーリストシップを生きているのだった。 明日の朝食は何時にしますかと、まさに今スタッフさんに尋ねられた。どうしよっかな。海辺の散歩してからだと8時かな、いや最近は朝お腹すくから7時にしようかな。そんなことをぐるぐると考えながら、夜も更けた山川港に目をやる。灯台が小さく灯り、人気のない海を照らす。ここがまさに貿易としての、海外との玄関口だったとは信じがたい静けさである。 ツーリストシップの拡張は、今のこの安寧の旅をビジョンとすることで駆動する。田中代表の起業家向け合宿はまだ終わっておらず、課題発表を残しているらしい。そんな苦行も厭わぬ田中代表を尻目に、ところで私は、先人たちが抱き続けた「外へ外へ」の飽くなきツーリストシップ魂を感じながら、今宵3度目の温泉に浸かることにしよう。では、失敬。

vol.37「まだ見ぬ未来」を、次のレールは指し示す

(ライター:弓指利武、音声:井本ゆうこ) 一世を風靡したアーケードゲーム『スペース・インベーダー』が登場したのが1978年。日本経済が上向かず、1ドル200円にまで円安が進行したその時を同じくして、海援隊がリリースした『思えば遠くへ来たもんだ』が大ヒットする。 コスモスの花をゆらし、貨物列車が走り過ぎる。その冷たいレールに耳を当てて、まだ見ぬ異郷の地を想像していた。故郷を離れてあれから6年、「思えば遠くへ来たもんだ」という歌だ。 今であれば、電車のレールに耳をあてただけで不届き者呼ばわりである。あの頃は故郷を離れる物理的距離が、いわば「遠く」を指していた。 ツーリストシップにとっての「思えば遠くへ来たもんだ」は、少し違う。立ち上げた当初に比べ、人も資金もある程度潤沢になってきた。逆境しかなかったあの頃を思えば、今はそれこそ「思えば遠くへ来たもんだ」となる。物理的な距離ではなく、運営としての展望であり、組織としての底力だ。 講演会の数も増え、価値を提供できる品質が日に日に上がっている。そういう実感を田中代表は確実に持ち得ている。ただツーリストシップを訴えるだけではなく、その土地で求められるニーズに寄り添い、様々なエピソードを踏まえ、題材に応えられる自信がある。こんな光景を当時は想像していなかった。あの頃感じたレールの冷たさは、今となってはもう正確に思い出せない。走り続ける人間にとって、振り返る時間はあまり得意ではない。 かといって、もう目指すレールがないわけではない。組織作りを通じて、もっと大きな、グローバルなオーダーにも応えられる視座と見識を持つことだ。そのことが田中代表の大きなモチベーションになっている。 偶然にもこのタイミングで、実家が京都に移った。原点の地・京都に「戻る」理由が生まれたのである。田中代表にとっての故郷が、以前感じたあのレールを伝い、舞い戻ってきた。「思えば遠くへ来たもんだ」が一段と身体に染みる。 野望は尽きない。そのための準備も惜しまない。途上にあるそのレールの上で、もがく田中代表の姿があった。「思えば遠くへ来たもんだ」の歌詞はこう締めくくられる。 ここまで一人で来たけれど思えば遠くへ来たもんだこの先どこまでゆくのやら 奇しくも今、日本経済は上向き、しかし円安は歯止めが効かない。実に複雑な世の中になった。世界も、日本社会も、ツーリストシップも、実はまだ見ぬ「この先」を、見つめているのだろう。 実はこの歌詞は少しだけ、ツーリストシップと異なる点がある。「ここまで一人で」来たわけではない。そしてこの先、田中代表が「誰をバスに乗せるのか」。一層の生命線になることは、間違いない。

vol.36 旅先クイズ会で、英語の習得を決意したわけ

人生一度でも、「ああ、英語習いたい」と思ったこと、あるんじゃないでしょうか。 かくゆう私も、何度もそんな想いを抱いては挫折し続けてきた人間です。思い立って英会話教室の無料体験に顔を出し、コロナ禍の煽りでリモートで習得できますという謳い文句になびいたかと思えば、「ここは決意の独学だ」と書店に足を運んでは挫折の階段を登る。 その志半ばにひれ伏す理由ははっきりしている。動機が薄い、または不純だからだ(実体験より)。 旅先クイズ会を繰り返す中で、田中代表は改めて、その英語の重要性に気づかされた。日本人の会話は、片言であれ何であれ、冒頭の会話こそすれ、その次が生まれない。対話にならないという。 ツーリストシップの名にかけて、田中代表は今、英語の勉強に励んでいる。遅いって?否、彼女のその実体験、英語での「対話」こそツーリストシップに不可欠であるという、純な想いがあってこその決意なのだ。 95歳のおばあさまが、突然英語を習い始めた。理由を聞いて唖然とした。「将来英語が必要になるからだ」。そんな話をふと思い出した。コミットの濃淡は人それぞれだ。良いも悪いもない。しかしその切迫感は、恐らくはこの先の未来をどれだけリアルに、そして自分事として捉えたかどうかに掛かっている。英語の習得の必然性は、実は社会や周りからは生まれない。今ここを生きる、私の中から沸き起こるものだ。そうでなければ私のように、薄くて不純な動機もあって、簡単にさじを投げるわけはないのである。それもまた乙な話と片付けてもいいが、英語の目的は対話である。田中代表は旅先クイズ会で、本気で対話の必要性を体感した。この実感に勝るものはない。私にすれば、不純な動機駆動で手を挙げた自分を呪う。金髪のお姉さんに「HELLO」なんて言えた話ではない。やはり未来は、その動機の広さと深さに比例して現実になる。そのことを身をもって、田中代表の決意から学ばされた。 もし、それでも、どうしても、英語を習得したいと思っている皆さん。是非旅先クイズ会にお越しください。そこで出会う海外からの観光客の皆様は、色んな想いをもって、そして不安を抱きこの日本に立っています。強張った心をやわらげ、対話で持ってツーリストシップを体現する未来への対話を、贅沢にも体験することができるはずです。 「ああ、英語習いたい」 その嘆きを、旅先クイズ会で大いに発揮され、一人でも多くのツーリストシップが、どうか花開きますように。

Vol.35「今に見てろよ」ツーリストシップは今、根を張っている。

オーバーツーリズムという言葉を、メディアの至る所で目にするようになった。 5月と言えばゴールデンウイーク。観光地で華やいだであろうインバウンドの盛況ぶりがメディアを埋め尽くしていた。変わったことと言えば連休最終日、思ったよりも人影が少ないですねというリポーターの報告くらいだった。 露出、という点で田中代表は今日も肩を落としていた。もっとツーリストシップを前面に出さないといけない。観光地で生まれている諸問題に、このツーリストシップが最も有効な特効薬であるという自負があればこそ、そのうっ憤は頂点に達した。 ツーリストシップという言葉は確かに、オーバーツーリズムよりもその露出は弱い。しかし私は、それがそのまま「反省」や「対策」といった類の連想に繋がるかと言えば、逆の意見を持っている。露出が必ずしもその発展を意味しない。だから、多少の改善は必要だけれども、今の実情を嘆くほどではないという意見だ。 先日私は、フィールドワークの一環で福岡県糸島市を訪れた。そこで偶然入った食堂の店主に色々と糸島のリアルを聞いた。正直驚かされた。メディアや観光ブックに載っていない物語の数々、そして何より店主自身の人生模様のユニークさは、メディアが到底取り上げないものでありながら、どのメディアにも負けないドラマの連続を見た。2時間ほど居座り、時を忘れて話し込んだ。物語の価値と露出の程度とは決して比例しない。そのことを身をもって体験した。 「皆さんそれぞれにドラマがありますからね」 店主に言われたその言葉が印象的だった。日々の日常に宿るドラマは、得てしてドラマチックなものを内包している。しかし大抵は、そのことに気づかない。 ツーリストシップという生き方、振る舞いというものは、そういう埋もれた日常に確かに咲いている花を、「見つけて」「示す」ことだけでなく、「ただひたすらにそのままで」「目立つことなく根付いている」ものとしての、秘すれば花のような価値を見出すことにも大きな意味がある。その根っ子にこそ、本質がある。誰もが抱く日々の中の、誰もが見逃すその一つ一つである。 最近、ツーリストシップのWikipedia、ツーリストシップウィキの制作に取り組んでいる。観光地で見せる様々な顔を、もっと身近に、そして観光本では扱わないような小さなものにこそドラマを生み出そうと、様々なエピソードを蓄えている。そこに足を踏み入れたものにしか分からないドラマ、日々埋もれがちなその物語を、ツーリストシップは拾い集める。露出が価値ではない、その出逢いに、その小さなものに宿る何かを、ツーリストシップは語ろうとしている。 田中代表の焦りは大事だ。しかしこういう、小さな日常にも価値はある。露出だけが大事なのではない。土で見えないその下の、力強く根を張るその太さが、やがて大きな実を実らせる。 連休に沸いたメディアをよそに、ツーリストシップは今この瞬間も、小さくて大きな根をはり続ける。その試みの止まらぬ限り、ツーリストシップは今日もこうして、たくさんの根を張り巡らせている。 「今に見てろよ」 田中代表の、言葉にならない言葉が、聴こえた気がした。

Vol.34 ロマンとパッションの狭間で、ツーリストシップが進化する

「ロマンを伝えつつ、パッションを消したい。」 文字通りに読み解けば、一体何のこと?と混乱さえしそうだ。ロマンを伝えるはまだいい、パッションを消したいとはどういうわけだ。 田中代表曰く、正確には「脱パッション」らしい。パッションは伝播の起爆剤でもあるが、逆に人を遠ざける圧にもなる。だから、熱さはそこそこにして、ツーリストシップという概念をロマンでもって優しく伝わっていくことを狙えば、本当のムーブメントが起こるのかもしれない。田中代表のその志はまるで、“青い炎”のようだった。青い炎…やや矛盾めいた表現だが、そういうことだから仕方がない。例えるなら、静かな闘志とか、乱れ飛ぶ凪、とか。まるでギンギラギンにさりげなくじゃないか。 しかしその光景は、ツーリストシップがもう一つ高みのフェーズに行き着いたことを意味していた。先日、衆議院の特別委員会でツーリストシップが取り上げられた。「観光客と住民が協力しあう意味」として、神奈川新聞にも掲載された。国会を席巻したツーリストシップには、パッションよりも大事な「新しい未来づくり」を、ある意味で訥々(とつとつ)と示し、実走させていくミッションを含んでいる。いみじくも、冒頭の一文が早々に、形となって表れた。 他方で課題はある。ツーリストシップの浸透度はまだまだ途上だ。そしていざ旅行者となった際に、ツーリストシップを胸に秘めて行動できるかどうか。その道程は決して容易ではない。 先日、仕事でベトナムのハノイとホーチミンを訪れた。久々の海外にやや不安はぬぐえない。しかしである。今の私は、以前とは違う。そう、私にはツーリストシップがあるのだ。 “ここにおわすお方をどなたと心得る。我こそはツーリストシップのパートナーであるぞ頭が高い。ひかえおろう。” いざ旅行者としての振る舞いを実践…と飛行機の中までは威勢は良かった。ハノイ空港に到着したその瞬間から、その心意気は脆くも風に飛んで行った。理解不能なベトナム語が眼前に迫り続ける中、ナニモワカラナイ土地で右往左往する私に、ツーリストシップのことなどまるで頭にない。ただ目の前のことに必死だった。税関に睨まれ、クラクションに慄(おのの)き、ホテルの扉を飛び切りの笑顔で開けてくれる従業員を前に「え?その笑顔ってチップ求めてるの」と懐疑心だけが膨らんでいくワタシの儚い心といったら。嗚呼、情けない。これが「この印籠が目に入らぬか」の惨状である。 伝わるということの意味は、恐らくそれを「自然に」「歯を磨くように」当たり前に出来上がっている状態を指す。その高い高い理念に向けて、ここまで大きくなったツーリストシップだけれど、ここから登るべき山は険しい。フェーズが変わったツーリストシップの、実情であり課題であり、それこそがロマンでもあろう。 セッションの後半、更に面白いことができるのではないかと盛り上がった。ツーリストシップに集うメンバーもまた、この機会で何かムーブメントを起こせるのではないかと。その話はまた追々この場でお示しするとして、こういう融合による新しい扉もまた、今後田中代表が出会う様々な冒険の中でどんどん開かれていくのだろう。 「ロマンを伝えつつ、パッションを消したい。」 この言葉に秘められた意味の深さと「高さ」は、きっと想像以上だ。