vol.41 【速報】彼女の名は、春田菜々美。

「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日 1987年に発刊されたベストセラー『サラダ記念日』である。与謝野晶子このかたの天才歌人と評された俵万智氏の、日々の小さな幸せを歌う数々に、読者は自分自身にも身に覚えのある小さな日常を重ねていた。あー、わかるそれ。そうなんだよねー。言葉にならぬ言葉達がバブル期真っただ中の日本列島を駆け抜けた。 ツーリストシップも負けず劣らず現代の日本列島を駆け抜ける。そんな中で、その歴史に燦燦と輝く「記念日」が生まれた。正規メンバーとしてのニューフェイスである。普段通りの日常に咲く小さな花を愛(め)でる人であり、開口一番から花を咲かせるその佇まいは、『サラダ記念日』に描かれた小さな幸せを彷彿とさせる。初めて膝を突き合わせるのに、もう既に何度もお会いしていたかのような錯覚を抱かせる。気負いもなく、着飾ることもない。等身大であることが余計に燦燦とその存在感を輝かせていた。あー、わかるそれ。そうなんだよねー。一貫してこの調子なのである。 ツーリストシップとの出会いは大学生の頃、田中代表がゲスト登壇した授業だった。こんな若い人が堂々と物おじしないプレゼンをするなんて。衝撃的だった。たった3つ年上なだけで、こんなインパクトを残していくその背中を追いかけたくなった。やがてボランティアとして田中代表と行動を共にするようになる。いずれ一緒に働いてみたい。そう思うのに時間はかからなかった。 「この味がいいね」よろしく、彼女の息抜きは家庭料理だ。料理を作っているときは無心になれる。旅先クイズ会のこと、そして担当する自治体との交渉ごとが頭から離れない中でも、料理をすると没我の如く工程のことしか頭にない。こういう時を過ごすことで、仕事もプライベートもバランスが取れるという。しかし料理と言っても、お菓子作りは除外される。細かい軽量が面倒だからだ。「目分量の女と呼んでください」とは本人直々の言葉である。なるほど確かに、そんな豪快なところは彼女の笑い声からも窺い知れる。細かいことは気にしないのである。 彼女には夢がある。観光業界で働く人を増やすことだ。特に、衣食住を全て担うホテル・宿泊業界の待遇改善と更なる発展をビジョンに描いている。観光業のおもしろさと複雑さ、正解がないややこしさが何ともいえない魅力を運んでくる。こんな尊い世界に、私を入れなくてどうする。大学を卒業し半年間一般企業で働いたのちに、彼女は遂にツーリストシップの門を叩き、正社員となった。九月五日のことである。 田中代表には尊敬の念しかない。しかし時折「もうちょっと落ち着いたらどうだろう」と思うこともあると言ってやはり笑っていた。完ぺきではない、そしていつも駆け抜けている田中代表の、あらゆる個性が彼女の心に灯をつける。「実は慎重派なんです」と小生に告げたのは、きっと田中代表の情熱やアクティブなところ、そして時折チャーミングに抜けたりもするその全てを、私なら引き受けてみせますという決意であった。 軽快なほどに人の懐に飛び込んでいく彼女の瞬発力は、ツーリストシップの未来である。人に、地球に、社会に、課題に。あの等身大の笑顔がこれからますます、ツーリストシップを面白くする。照らし続ける。『サラダ記念日』を強引に引用するなら、こうなる。 「この旅がいいね」と君が言ったから九月五日はツーリストシップ記念日 彼女の名は、春田菜々美。 一般社団法人ツーリストシップ・地域連携マネージャーその人である。

vol.40 押しては返す波のように、ツーリストシップは発展する

もうここまで場慣れして「緊張しなくなった」田中代表が、なぜサミットで足が震えたのか。サミットを終えた電話でのセッションは、この話でも持ちきりとなった。 いや、ちょっと違う。持ちきりだったというよりも、考えが割れた。 ちなみに田中代表の足を震えさせた緊張の原因は何か。それはサミット前日に、石垣島からお越しのミュージシャンの生演奏を聴いちゃったからだ。ライブでしか感じ取れない生の音、臨場感、振る舞いが、田中代表の心を揺さぶった。心までは良かったが、翌日のサミットでその想いが増すあまり、足まで震え上がらせた。一ファンになってしまうと、どうしても我を忘れる。尊敬という想いが先行し、正常な進行を妨げる。公私混同はプロではない。その思いが田中代表をして「プロたるもの、律する心が大切」と言わしめた。そういえばWBCの決勝戦、日本対アメリカ。メジャーリーガー勢揃いのアメリカを前に、確かに大谷翔平選手は諭した。「今だけ、憧れるのはやめよう」と。だから優勝できた。田中代表の反省節が続いた。だが私の意見は少し違っていた。ファンであるがために我を忘れ、公私が入り乱れる有様は、むしろ見せたほうがいいと思っている。できあがったもの以上に、想いが溢れるリアリティの説得力は絶大だからだ。だから反省など必要ないと言った。そういえば坂口安吾は『日本文化史観』で言っていた。美というものは、美を意識した途端に生まれてこないものだと。法隆寺が焼けても一向に困らぬと書いて、当時世間にどえらい印象を与えた。でも私は法隆寺は是非これからも焼けずに存在してもらいたいと思っている。 これは一体何の話や。こんな具合である。この掛け合いを続けていて思ったことがある。サミットでも恐らく、舞台と観客席との間で、様々な対話が展開されたに違いない。今後のツーリストシップの発展が、どれだけ多くのの国際問題を解決できるか、そのビジョンを最も鮮明に描いている田中代表たればこそ、あのサミットを成立させた。このリアリティには勝てない。そしてこれからも、このリアリティと共にツーリストシップは生きる。来年のサミットも8月6日、まだ内容は決まっていない。次回のサミットまでに、それこそ幾度となく繰り返すであろう、あーでもない、こーでもないという議論。そのプロセスこそが宝である。とんがったり、丸まったり、近づいたり、離れたり。まるで押しては返す波のように、ツーリストシップはこれからも意義あるプロセスを遺していく。 ところで田中代表にとって今回のサミットは、例年になく「楽させてもらった」そうだ。サポーターも増え、ますます馬力を増したツーリストシップである。そう思えば、胸きゅんでサミットに登壇したなんて話は、むしろ微笑ましい部類に入るではないか。事実、その余白ができたことで、田中代表もこうして俯瞰できた。胸キュンもできたわけである。 って、それこそ何の話や。…てな具合の、こういうプロセスも、あっていいのである。

vol.39 あいさつ一つで、ツーリストシップは生まれる

早朝、雨戸をあけて胸がすくんだ。家の前で人が倒れている。既に数名が群がっていた。そもそも何が起こったのかさえ分からないが、倒れていることは間違いない。ただ、群がる人たちの動作を見ていて、助けるでもなく関わらないでもなく、何とも言えずキレが悪い。仕方なく着替えて靴を履き、傍に向かう。見れば泥酔してイビキをかいている。既に警察を呼んでいてそれを待っているという。寝ているとはいえ地面に横たわっているわけだから、もしかすると夜中に喧嘩でもしたかもしれないし、頭を打っているかもしれない。血痕や争った跡があれば大事と思い近くの公園をのぞくが、いつもの平然とした静かな公園だった。救急車は必要ないかと言っている間に警察官がバイクで到着、家族の方と共に運ばれていった。そこに群がる近所の人と、何を話すでもなく、その場から離れた。実にキレの悪い出来事だった。 キレが悪いのは私も同類である。どちらかと言えば関わりたくなかった。ここで振り返って気づいたのは、普段から近所に誰が住んでいるか、まるで理解していないという事実だった。知り合いでもあれば、もっと機敏な行動を取ったかもしれない。ましてや倒れている人が大切な人だったら、こんなもんじゃないだろう。つまり、挨拶もろくにしない者同士が集まると、有事であれ平時であれ、この関係性に融合も何もあったもんじゃない、第一何の役にも立たないという強烈なリアリティがあった。 さて、気分を害する導入を詫びながら、ツーリストシップである。8月6日のサミット直前に田中代表から「コミュニケーションを取っていくことの重要性」を聞いた。万博を契機に、観光街づくりについて考えていきませんかというのが今回のテーマだった。旅行者も住民も、そして観光業を営む人も、分かり合おうとは言ってもいきなり有効的な関わりを創り出すことは難しい。どうしてもそこに立場の違いによる壁というものが介在する。ただ単純に挨拶をして声をかけていく小さな試みで、壁はやすやすと超えていける。それぞれの立場に巣食う億劫さを、たった一言のあいさつで克服できるかもしれない。その可能性を田中代表は改めて示唆してくれた。 沖縄からミュージシャンもやってきた。前回の倍以上のサミット動員数は、ツーリストシップの成長を暗示する実績である。難局を幾多も乗り越え、複雑な国際問題に真正面から向き合い続けてきたツーリストシップが、今更ながらコミュニケーションという手垢付きまくりの大命題と対峙していた。それでも人は分かり合えないでいる。近所づきあいで、挨拶一つできない関係性はあちらこちらに存在している。田中代表はその対話の重要性として「信用の回復」という言葉を使った。回復という言葉が妙に刺さる。あの早朝、キレの悪さを露呈した諸々の光景がオーバーラップする。単純なものほど、対策は難しい。ツーリストシップは、近所の人との関係性にまで言及していた。何とも言えない、バツの悪さである。 これを書いているのは、既にサミット開催後である。お恥ずかしながら私はサミットに行けなかった。明日、田中代表と電話面談の予定である。実に充実した報告を聞くことができることは想像に難くない。ところで倒れていた人は無事だろうか。そんなことをふと思い起こしながら、もしあの場にツーリストシップのマインドが花開いていたらと、その面影を追いかけてみる。ああ、なるほどと、納得した。あいさつはやはり関係性構築の軸である。その一言で壁は溶けていくのであると、今更ながら、気付かされた。

Vol.38 温泉につかりながら、ツーリストシップを想う時

今日は珍しく、鹿児島は指宿にある山川港を望みながら書いている。皆さんにとっては「だから何なんだ」という話だろうが、言うなれば「なんちゃって」出張版活動コラムである。先週、田中代表からヒアリングした内容を反芻しながら、温泉帰りの客を横目に、フロントのフリースペースでキーボードを叩く。 食と文化と歴史に事欠かない鹿児島の醍醐味を、コラムで表すのはあまり得意ではないが、普段と異なる場所で書くと、文字の質感や出力される表現具合は多少変わるかもしれない。そういうことくらいは何となくであるが書ける。山川港と言えば16世紀、西欧諸国で初めて紹介された日本の場所と言われているし、鎖国の中で琉球王国との貿易窓口にもなっていた。外へ外へと向かうには、何かと便利な港だったわけである。 ツーリストシップもまた、外へ外へと向いている。日本の旅行に留まらず、海外展開を視野に入れている。田中代表が最近参加した起業家向け合宿でも持論を展開し、そこで得た結論の一つとして、田中代表は自信を得た。今までやってきたことは間違いじゃなかったという自信だった。でももっともっとすごい人はいる。その向上心に灯が付いた。こういう体験を繰り返しながら、田中代表は成長を止めない。 成長を目的にしているわけではなく、ありたい理想からの逆算だ。そういうわけで、もっと熱く、もっと雄々しさを醸し出す文体に仕上げたいのだが、何といっても今日は指宿温泉である。頬を赤く染めた今の私に、そんな覇気は浴場に捨ててきたのである。 だが、同時にふと思うのである。旅というものを通じて田中代表が成し遂げたいビジョンは、もしかするとこういう私のような旅行客を増やすことなのかもしれない。ツーリストシップを広げること、活気づけること、理解してもらうこと、その一つひとつには、安寧な旅を通じた「あー、生きててよかったなあ」という、ほっとしたため息吐息をどれだけ出せる旅にするかである。旅の種類もいろいろではあるが、どうあれ、行ってよかった、出会えてよかったを世界中に広げることが田中代表のミッションなはずである。そう思えば、今こうしてロビーでキーボードを叩いているこの私こそが、ツーリストシップを生きているのだった。 明日の朝食は何時にしますかと、まさに今スタッフさんに尋ねられた。どうしよっかな。海辺の散歩してからだと8時かな、いや最近は朝お腹すくから7時にしようかな。そんなことをぐるぐると考えながら、夜も更けた山川港に目をやる。灯台が小さく灯り、人気のない海を照らす。ここがまさに貿易としての、海外との玄関口だったとは信じがたい静けさである。 ツーリストシップの拡張は、今のこの安寧の旅をビジョンとすることで駆動する。田中代表の起業家向け合宿はまだ終わっておらず、課題発表を残しているらしい。そんな苦行も厭わぬ田中代表を尻目に、ところで私は、先人たちが抱き続けた「外へ外へ」の飽くなきツーリストシップ魂を感じながら、今宵3度目の温泉に浸かることにしよう。では、失敬。

vol.37「まだ見ぬ未来」を、次のレールは指し示す

(ライター:弓指利武、音声:井本ゆうこ) 一世を風靡したアーケードゲーム『スペース・インベーダー』が登場したのが1978年。日本経済が上向かず、1ドル200円にまで円安が進行したその時を同じくして、海援隊がリリースした『思えば遠くへ来たもんだ』が大ヒットする。 コスモスの花をゆらし、貨物列車が走り過ぎる。その冷たいレールに耳を当てて、まだ見ぬ異郷の地を想像していた。故郷を離れてあれから6年、「思えば遠くへ来たもんだ」という歌だ。 今であれば、電車のレールに耳をあてただけで不届き者呼ばわりである。あの頃は故郷を離れる物理的距離が、いわば「遠く」を指していた。 ツーリストシップにとっての「思えば遠くへ来たもんだ」は、少し違う。立ち上げた当初に比べ、人も資金もある程度潤沢になってきた。逆境しかなかったあの頃を思えば、今はそれこそ「思えば遠くへ来たもんだ」となる。物理的な距離ではなく、運営としての展望であり、組織としての底力だ。 講演会の数も増え、価値を提供できる品質が日に日に上がっている。そういう実感を田中代表は確実に持ち得ている。ただツーリストシップを訴えるだけではなく、その土地で求められるニーズに寄り添い、様々なエピソードを踏まえ、題材に応えられる自信がある。こんな光景を当時は想像していなかった。あの頃感じたレールの冷たさは、今となってはもう正確に思い出せない。走り続ける人間にとって、振り返る時間はあまり得意ではない。 かといって、もう目指すレールがないわけではない。組織作りを通じて、もっと大きな、グローバルなオーダーにも応えられる視座と見識を持つことだ。そのことが田中代表の大きなモチベーションになっている。 偶然にもこのタイミングで、実家が京都に移った。原点の地・京都に「戻る」理由が生まれたのである。田中代表にとっての故郷が、以前感じたあのレールを伝い、舞い戻ってきた。「思えば遠くへ来たもんだ」が一段と身体に染みる。 野望は尽きない。そのための準備も惜しまない。途上にあるそのレールの上で、もがく田中代表の姿があった。「思えば遠くへ来たもんだ」の歌詞はこう締めくくられる。 ここまで一人で来たけれど思えば遠くへ来たもんだこの先どこまでゆくのやら 奇しくも今、日本経済は上向き、しかし円安は歯止めが効かない。実に複雑な世の中になった。世界も、日本社会も、ツーリストシップも、実はまだ見ぬ「この先」を、見つめているのだろう。 実はこの歌詞は少しだけ、ツーリストシップと異なる点がある。「ここまで一人で」来たわけではない。そしてこの先、田中代表が「誰をバスに乗せるのか」。一層の生命線になることは、間違いない。

vol.36 旅先クイズ会で、英語の習得を決意したわけ

人生一度でも、「ああ、英語習いたい」と思ったこと、あるんじゃないでしょうか。 かくゆう私も、何度もそんな想いを抱いては挫折し続けてきた人間です。思い立って英会話教室の無料体験に顔を出し、コロナ禍の煽りでリモートで習得できますという謳い文句になびいたかと思えば、「ここは決意の独学だ」と書店に足を運んでは挫折の階段を登る。 その志半ばにひれ伏す理由ははっきりしている。動機が薄い、または不純だからだ(実体験より)。 旅先クイズ会を繰り返す中で、田中代表は改めて、その英語の重要性に気づかされた。日本人の会話は、片言であれ何であれ、冒頭の会話こそすれ、その次が生まれない。対話にならないという。 ツーリストシップの名にかけて、田中代表は今、英語の勉強に励んでいる。遅いって?否、彼女のその実体験、英語での「対話」こそツーリストシップに不可欠であるという、純な想いがあってこその決意なのだ。 95歳のおばあさまが、突然英語を習い始めた。理由を聞いて唖然とした。「将来英語が必要になるからだ」。そんな話をふと思い出した。コミットの濃淡は人それぞれだ。良いも悪いもない。しかしその切迫感は、恐らくはこの先の未来をどれだけリアルに、そして自分事として捉えたかどうかに掛かっている。英語の習得の必然性は、実は社会や周りからは生まれない。今ここを生きる、私の中から沸き起こるものだ。そうでなければ私のように、薄くて不純な動機もあって、簡単にさじを投げるわけはないのである。それもまた乙な話と片付けてもいいが、英語の目的は対話である。田中代表は旅先クイズ会で、本気で対話の必要性を体感した。この実感に勝るものはない。私にすれば、不純な動機駆動で手を挙げた自分を呪う。金髪のお姉さんに「HELLO」なんて言えた話ではない。やはり未来は、その動機の広さと深さに比例して現実になる。そのことを身をもって、田中代表の決意から学ばされた。 もし、それでも、どうしても、英語を習得したいと思っている皆さん。是非旅先クイズ会にお越しください。そこで出会う海外からの観光客の皆様は、色んな想いをもって、そして不安を抱きこの日本に立っています。強張った心をやわらげ、対話で持ってツーリストシップを体現する未来への対話を、贅沢にも体験することができるはずです。 「ああ、英語習いたい」 その嘆きを、旅先クイズ会で大いに発揮され、一人でも多くのツーリストシップが、どうか花開きますように。

Vol.35「今に見てろよ」ツーリストシップは今、根を張っている。

オーバーツーリズムという言葉を、メディアの至る所で目にするようになった。 5月と言えばゴールデンウイーク。観光地で華やいだであろうインバウンドの盛況ぶりがメディアを埋め尽くしていた。変わったことと言えば連休最終日、思ったよりも人影が少ないですねというリポーターの報告くらいだった。 露出、という点で田中代表は今日も肩を落としていた。もっとツーリストシップを前面に出さないといけない。観光地で生まれている諸問題に、このツーリストシップが最も有効な特効薬であるという自負があればこそ、そのうっ憤は頂点に達した。 ツーリストシップという言葉は確かに、オーバーツーリズムよりもその露出は弱い。しかし私は、それがそのまま「反省」や「対策」といった類の連想に繋がるかと言えば、逆の意見を持っている。露出が必ずしもその発展を意味しない。だから、多少の改善は必要だけれども、今の実情を嘆くほどではないという意見だ。 先日私は、フィールドワークの一環で福岡県糸島市を訪れた。そこで偶然入った食堂の店主に色々と糸島のリアルを聞いた。正直驚かされた。メディアや観光ブックに載っていない物語の数々、そして何より店主自身の人生模様のユニークさは、メディアが到底取り上げないものでありながら、どのメディアにも負けないドラマの連続を見た。2時間ほど居座り、時を忘れて話し込んだ。物語の価値と露出の程度とは決して比例しない。そのことを身をもって体験した。 「皆さんそれぞれにドラマがありますからね」 店主に言われたその言葉が印象的だった。日々の日常に宿るドラマは、得てしてドラマチックなものを内包している。しかし大抵は、そのことに気づかない。 ツーリストシップという生き方、振る舞いというものは、そういう埋もれた日常に確かに咲いている花を、「見つけて」「示す」ことだけでなく、「ただひたすらにそのままで」「目立つことなく根付いている」ものとしての、秘すれば花のような価値を見出すことにも大きな意味がある。その根っ子にこそ、本質がある。誰もが抱く日々の中の、誰もが見逃すその一つ一つである。 最近、ツーリストシップのWikipedia、ツーリストシップウィキの制作に取り組んでいる。観光地で見せる様々な顔を、もっと身近に、そして観光本では扱わないような小さなものにこそドラマを生み出そうと、様々なエピソードを蓄えている。そこに足を踏み入れたものにしか分からないドラマ、日々埋もれがちなその物語を、ツーリストシップは拾い集める。露出が価値ではない、その出逢いに、その小さなものに宿る何かを、ツーリストシップは語ろうとしている。 田中代表の焦りは大事だ。しかしこういう、小さな日常にも価値はある。露出だけが大事なのではない。土で見えないその下の、力強く根を張るその太さが、やがて大きな実を実らせる。 連休に沸いたメディアをよそに、ツーリストシップは今この瞬間も、小さくて大きな根をはり続ける。その試みの止まらぬ限り、ツーリストシップは今日もこうして、たくさんの根を張り巡らせている。 「今に見てろよ」 田中代表の、言葉にならない言葉が、聴こえた気がした。

Vol.34 ロマンとパッションの狭間で、ツーリストシップが進化する

「ロマンを伝えつつ、パッションを消したい。」 文字通りに読み解けば、一体何のこと?と混乱さえしそうだ。ロマンを伝えるはまだいい、パッションを消したいとはどういうわけだ。 田中代表曰く、正確には「脱パッション」らしい。パッションは伝播の起爆剤でもあるが、逆に人を遠ざける圧にもなる。だから、熱さはそこそこにして、ツーリストシップという概念をロマンでもって優しく伝わっていくことを狙えば、本当のムーブメントが起こるのかもしれない。田中代表のその志はまるで、“青い炎”のようだった。青い炎…やや矛盾めいた表現だが、そういうことだから仕方がない。例えるなら、静かな闘志とか、乱れ飛ぶ凪、とか。まるでギンギラギンにさりげなくじゃないか。 しかしその光景は、ツーリストシップがもう一つ高みのフェーズに行き着いたことを意味していた。先日、衆議院の特別委員会でツーリストシップが取り上げられた。「観光客と住民が協力しあう意味」として、神奈川新聞にも掲載された。国会を席巻したツーリストシップには、パッションよりも大事な「新しい未来づくり」を、ある意味で訥々(とつとつ)と示し、実走させていくミッションを含んでいる。いみじくも、冒頭の一文が早々に、形となって表れた。 他方で課題はある。ツーリストシップの浸透度はまだまだ途上だ。そしていざ旅行者となった際に、ツーリストシップを胸に秘めて行動できるかどうか。その道程は決して容易ではない。 先日、仕事でベトナムのハノイとホーチミンを訪れた。久々の海外にやや不安はぬぐえない。しかしである。今の私は、以前とは違う。そう、私にはツーリストシップがあるのだ。 “ここにおわすお方をどなたと心得る。我こそはツーリストシップのパートナーであるぞ頭が高い。ひかえおろう。” いざ旅行者としての振る舞いを実践…と飛行機の中までは威勢は良かった。ハノイ空港に到着したその瞬間から、その心意気は脆くも風に飛んで行った。理解不能なベトナム語が眼前に迫り続ける中、ナニモワカラナイ土地で右往左往する私に、ツーリストシップのことなどまるで頭にない。ただ目の前のことに必死だった。税関に睨まれ、クラクションに慄(おのの)き、ホテルの扉を飛び切りの笑顔で開けてくれる従業員を前に「え?その笑顔ってチップ求めてるの」と懐疑心だけが膨らんでいくワタシの儚い心といったら。嗚呼、情けない。これが「この印籠が目に入らぬか」の惨状である。 伝わるということの意味は、恐らくそれを「自然に」「歯を磨くように」当たり前に出来上がっている状態を指す。その高い高い理念に向けて、ここまで大きくなったツーリストシップだけれど、ここから登るべき山は険しい。フェーズが変わったツーリストシップの、実情であり課題であり、それこそがロマンでもあろう。 セッションの後半、更に面白いことができるのではないかと盛り上がった。ツーリストシップに集うメンバーもまた、この機会で何かムーブメントを起こせるのではないかと。その話はまた追々この場でお示しするとして、こういう融合による新しい扉もまた、今後田中代表が出会う様々な冒険の中でどんどん開かれていくのだろう。 「ロマンを伝えつつ、パッションを消したい。」 この言葉に秘められた意味の深さと「高さ」は、きっと想像以上だ。

vol.33 一周回って映る景色

「一周回って新しいぞ、それ」 もう20年くらい前。何も考えずに服の上下をストライプで揃えてしまった。まるで吊るされた素麵のような出で立ちを前に、あざ笑う友人たち。一人暮らしの時は、自分しか服装のチェックができないから、鏡の前に立つ時間を失うとロクなことがない。しかしその直後に、「一周回って」という言葉が出た。妙に記憶に残っている。 一周回るという表記は、今思えば大きく二つの用途がある。行為と比喩だ。行為としては「グランドのトラックを一周回った」「一周回って見せてごらんよ」「あのトロサーモン、一周回ってきたぞ」といった風な、何かが文字通り一回りしてきた様子を指す。 もう一つが面白い。「一周回って面白い」「一周回って追いついた」「変態って一周回って天才だよな」といったような、一周回ることで原点回帰だったり、昔のものや劣っていたものが「一周回る」ことで何かしらの力を得る。説得力なのか、レベルアップなのか。螺旋階段のような上昇機運ならまだ合点もいくが、一周回ることがなぜスケールを大きくしたり、今までにない価値を引っ提げてくるのか。日本語の比喩はこれだからオモシロイ。 田中代表も、御託に漏れず「一周回った」。ツーリストシップが一周回って、「マナー啓発」を促す表現をしている。本来ツーリストシップは、マナー啓発を指すことを半ば嫌っていた。旅人がマナー啓発って、そもそも楽しいのかそれ。旅は確かにマナーも大事だが、本来人は「楽しいから」続けられる弱い生き物だ。そこに啓発とか言って、浸透するわけがない。そんな想いがどこかにあった。 しかし、ツーリストシップの活動を積み上げ、折り重ねていくうちに、時代も環境も、そして目指すビジョンも変化を遂げている。潮流は決して、新しいものを次々には求めない。足元に既にあって、その価値をひたすらため込んでいたモノたちが、一周回ってワンと吠えるのだろうか。 「マナー啓発のバージョンアップとして伝えていいんじゃないかと思えてきたんです。それはあくまでも、伝えるためであり届けるため。そして実際に、そのことが《現れる》ために。」 田中代表をリアリストとは言わない。しかし、リアルな浸透策は得てして俗世間の生命線だ。行政と共に、旅行者と共に、住民と、観光地で商いをする方々と共に、伝わり届く本質を探り当てようとしているのだ。 ツーリストシップの一周は、決して容易いものではなかった。幾多の試行錯誤と喧々諤々とした議論を要した。だから、「一周回ってマナー啓発」には厚みがある。その言葉の意味するところ、来るところがまるで違うのである。 20年前に私が着こなした「ストライプ&ストライプ」は、かつての「まえだまえだ」のような可愛げがあったわけでもないし、奇をてらったニューセンスをカマしたわけでもない。完全なチョイスミスだ。しかしその出来事は、今もこうして記憶に残る。一周回ることで、その物語が違う表情を持って来てくれる。たくさんの風を感じて、その一周が、深い洞察と根を張る意味をもたらしてくれた。ただ言えることは、あの日からストライプの服を選ばなくなった。おかげであの日は夜中まで縦の罫線を身にまとい、心穏やかに過ごすことができなかった。嗚呼、ストライプ。なかなかの苦痛であった。 一周回ったツーリストシップは、その原点と、一周のうちに出逢った様々な軌跡を小脇に抱え、まだ見ぬ航海へと胸を膨らませる。そういう夢のある《一周回る》を、ツーリストシップは体現し始めた。マナー啓発のツーリストシップ、実に爽快で心地いい、reborn(リボーン)である。

vol.32 狙わない強さに、震えた夜

旧友と3人で呑んだ。半年ぶりである。 …と、フレンドリーに「旧友」なんて書かせて頂いているが、二人とも大先輩だ。 仕事で絡んだことはほとんどなく、ただ純に「飲み仲間」として付き合っていただけるのは、普段あまり「ただ飲むだけ」の会にはほとんど行かない私にとって、却って珍しく、面白い。 話す内容も、実に他愛もないことばかり。強引なダジャレや、ニッチでレトロな昭和ネタが指し込まれては、何それと声が弾む。 しかし今日の話題は、ダジャレもレトロもそこそこに、一人の先輩の「激やせぶり」でもちきりだった。この3か月ほどで15キロの減量。さすがに触れないわけにはいかない。「お久しぶりです」の言葉を押しやり、まず出てきたのは「どうしたんすか、それ」だった。 「まあ、私は毎日見てるんで、話題にならなくなったけどね」 激やせの先輩を前に、もう一人の「ダジャレ王」が悠々と呟き、既に半分飲み干したグラスを傾ける。彼に言わせれば、もう激やせは「当たり前の光景」になったそうだ。 毎日見ているものと、半年ぶりに見たものとの差異。外からの刺激も、習慣的な視覚を前にすると、気づきのアンテナを閉じてしまう。しかし言い換えれば、日々の変化は「気づきにくい」だけで着実に変化を生み出している。1か月もあれば人間の体の細胞はまるっと入れ替わっているらしい。変化は何も「分かりやすいもの」だけを意味しない。「変わらないほど」の変化こそ、習慣に溶け込んだ成長の醍醐味なのだろうと、思った。 さて、ツーリストシップアワードが大盛況だ。それぞれの旅の想い出を、写真を添えて応募する。そこで出会ったドラマ、偶然の意味を探り、ツーリストシップが花開くコンテスト。150あまりの「大切な旅の物語」が集まった。これを成し遂げたのは田中代表、ではない。インターンとして参加してくれた学生たちの力だ。 一人ひとりの誠実な態度の賜物であることは言うに及ばず、特に陣頭指揮を執ったHさんの活動に触れないわけにはいかない。田中代表が今回、特にこのHさんの成長を肌で感じ取っていた。 「どうやって人に動いてもらえるか」 ディレクションに頭を痛めた田中代表だからこそわかる、物事を進める難しさを、Hさんは空気の醸成力で心を揺さぶり、人を動かした。否、「動かした」と書くと操作的で合致しない。「結果として」人が「動いた」のである。 MITのダニエル・キム教授が提唱した「組織の成功循環モデル」によれば、成果を生み出そうと「結果の質」から事を動かすと失敗し、成果の前にメンバー間の信頼関係を指す「関係の質」から関わることで、結果的に成果につながるという研究結果を出して話題になった。Hさんのそれはまさに、「結果として」成果につないだ、関係の質向上が魅せた日常的な関わりによるものであったのだ。 しかし当の本人は飄々としている。凄いことをやってのけたと息巻いてもいない。ただ純粋に、集まったことを喜び、「これがツーリストシップのいいきっかけになれば」とただ、ワクワクしている。成果を追わず、共に分かち合う関係の質向上の要因は、そんなHさんの人間性にまで話が及んだ。田中代表だって20代の若者である。なのに、その若者をして「この若者は凄い」と言わしめる柔らかさである。既にもう「次の萌芽」が雪の中からひょっこりと顔を出している。そんなことがツーリストシップでは日常化している。末恐ろしいまでの習慣形成ではないか。 旧友の激やせも、習慣となれば目に入らなくなる。人の成長も、日々見ていればその変化に気づかない。見えず気づかず、それが悪いわけではない。それくらい、人の変化や成長は、日々の微妙な消息に宿るということだ。そして、世の中を席巻する「これであなたも見違えるくらいに良くなる!」という太鼓を叩きまくるかのような無理な宣伝広告に惑わされてはならないという、これ以上ない教訓なのである。 「次元ヘアカラー」 帰路の最後に大先輩が言い放ったこの言葉。いわゆる昭和時代にテレビCMを凌駕した「あの」ヘアカラーの名前と、着てきたコートのたたずまいが「まるで次元みたい」と表現した私の言葉とを共鳴させて生まれた。この編集力といい、間(ま)といい、タイミングといい、この何気なくも柔らかい笑いを、その大先輩もまた飄々とした様子でいとも簡単に表してしまう。そんなに面白い?とでも言わんばかりに。 人は動かすものではなく、その人のたたずまいや揺らしによって「動かされるもの」なのだろう。Hさんと、大先輩の「次元ヘアカラー」が、どうしてもダブって見えた。この、説明ができない凄さを身にまとう人たちは無敵である。緩やかにして、ぶれない。そんな人たちが、田中代表にとっても私にとっても、憧れなのである。 狙わないという強さが、これ以上ない精巧なロックオンを実現し、真ん中を射止めてしまう。よくよく考えれば末恐ろしい能力だ。そんな能力が、これからツーリストシップでも展開される。楽しみすぎて、足が震えた。