Vol.011  人間の創造性は、この葛藤にこそ、生まれ得る

ChatGPTが世間を賑わせている。AIが遂に、人間に成り代わって何でもやってしまう時代に入った。 レポートの作成だって、営業戦略の立案だって、恋愛相談だって、何でもこなせてしまう。 シンギュラリティ-はもう少し先だと思っていたら、AIが全てを支配する世界はそう遠くない未来図になってきた。 これはいわば、人間の長年の経験値を簡単にAIが乗り越えていく時代の到来を指す。年功序列によって保たれていた秩序は、年を重ねることで得られてきた経験によるものだった。その構図が壊れようとしている。 AIによる人間のロジックを凌駕した事件は、1997年のチェスの世界で、そして2017年の将棋の世界でそれぞれ起こり、AIの絶対的強さが証明された。今や将棋やチェスの類いは、AIが示す評価値によって有利不利かが一瞬で分かるようになった。長年の経験を積んできた猛者たちの解説を待たずして、AIが数秒で弾き出す最善手は、私たちに何をもたらし、何を奪いそして、どんな未来を描いていくのだろう。 ツーリストシップの浸透を視野に入れた一つの施策として、推進法を設立するという驚きの“一手”が示された。田中代表の語気が荒くなる。 「ツーリストシップを議員立法にすることを考え付きました。そのためには、いま進めているブース出展を通じて、データを取り集め、希少価値の高い事実でもって物事を動かしていく。データという事実を前にすれば、物事は案外真っすぐに進むのではないか。推進法の設立は確かに大変だけど、そう無茶な話でもないように思えてきたんです。」 最初は冗談だと思った。推進法にしてどんなメリットがあるのか。 「助成金にもつながっていきますし、旅行者や観光業界への一助にもなり得る。可能性が広がるのではと、直感で思いました。」 田中代表は冗談ではなかった。そして気の遠くなるような立法への道のりを、決して遠くない未来に据えていた。こういうサプライズがツーリストシップのプロセスだ。結論ファーストではない、この道程に力がみなぎる。ツーリストシップが日に日に、厚みを増していく。 『ツーリストシップ推進法を誕生させるにはどうすればいいですか』 もしChatGPTに聞いたら何と答えるのだろうか。一瞬やってみようと思ったが、やめた。プロセスが味わえなくなる。道程に咲く、試練という名の一輪の花が、ChatGPTによって儚く根絶やしにされることは忍びない。 「AIが避ける無駄の中から、人間の創造性が育まれる」 永世七冠を達成した未曽有の大棋士・羽生善治九段は、AIの台頭に対して「テクノロジーの進歩は止められない」としつつも、人間の創造性についてはそのように評価した。 ツーリストシップはまさに、人間が生み出した創造性の一つである。ChatGPTを有効活用することは間違いなく人類の叡智であり大きな一歩だ。しかし葛藤もある。その両方を併せ吞む受容的態度もまた、人間ならではの懐の深さとも言えるのだろう。 この葛藤は、この時代に生まれた私たちの特権である。ツーリストシップもまた、その特権の中で生き、もがき、乗り越えていく。 人間の創造性とは、そんな葛藤の渦にこそ、生まれ得るものなのだろう。田中代表は冷静だった。静かな闘志が、みなぎっていた。(1886文字)

Vol.010  理想の対義語は現実にあらず。成功の対義語は失敗にあらず

国語の授業で「対義語」という言葉を聞いたことがある。 意味上の対(つい)をなす語、反対の意味を指す言葉。 例えば「大きい」の対義語は「小さい」、「狭い」の対義語は「広い」、「良い」「悪い」、「深い」「浅い」あげればきりがない。 では、「理想」という言葉の対義語は、何でしょうか。 そうですね、「現実」となります。 ツーリストシップに限らず、あらゆる団体が志を立て、その手に握る夢というものには、確かな「理想」が存在し、その理想こそが原動力となって様々な行動を発起させる。 云わば「理念」とも言える、何のために、誰のために、なぜやるのかという動機の根っ子である。 崇高な理想は得てして、現実の問題を蔑ろにしがちである。立派なことは口にしても、実際の行動に移せない、寂しい志は世の中、枚挙に暇(いとま)がない。 ともすれば、旅行者、観光従事者、住民の三方善しを目指すそのツーリストシップの志もまた、数多くある《行動なき理想の1ページ》に埋没しかねない。描いて終わるような、儚い理想に留まっては、この誇り高き理想は水泡に帰す。 しかし田中代表は、行動を求め、「現実」を見ていた。この先の人不足、そして効率と効果との両輪を視野に入れた突拍子もないような、けれど実に現実を見据えた構想を設計していた。 そう、ブースの無人化である。 人と人とが膝と膝を突き合わせて初めて成し遂げられることこそが「ツーリストシップ」であると思いきや、田中代表の頭の中では、エクセルで弾き出された精巧な損益分岐、収支計算の表でびっしり埋め尽くされていた。コストを抑え、幅広い展開を視野に入れて考えれば、何でも人がすることの問題点は明らかだ。人がやらないといけないという思考の枠を外した。理想に走ると見せかけて、この周到な現実主義には頭が下がる。 この日、田中代表の話を聞いていて思ったことがある。理想を成し遂げる上で、現実が障壁になるという発想は田中代表にはないと思った。その迫りくる現実こそが、理想を実(じつ)に結ぶ突破口であるという思考だった。つまり、理想と現実は、田中代表にとっては対義語ではない。同義語なのである。 ブースの無人化、その飽くなき挑戦はまさに、真のツーリストシップの成功のための一里塚である。やってみなければ分からない、その心意気は既に、ツーリストシップを地で生きる者の佇まいだ。頭に描くイメージ図と計算機の同居、なるほど、さもありなんである。 ちなみに「成功」の対義語は何でしょうか。そう、失敗と答えるのは辞書としては正しいが、ツーリストシップとしては不正解。 正解は、…そうですね。成功の反対は、挑戦しないことですね。 アメリカの教育者、ノア・ウェブスターは言いました。 「成功とは、探し求めた目標の、満足のいく達成である」 田中代表が観る世界は、理想じゃない。挑戦という道の向こう側に立つ、「現実」そのものである。 (1187文字)

Vol.009 ツーリストシップの書籍が生まれる

ツーリストシップの書籍が生まれる。さらりと書くと「ふーん」で終わりそうだが、ツーリストシップが本になるなんて、よくよく考えれば凄いことだ。 田中代表はここ数日、しれっと、ほぼこの執筆に時間を割き続けてきた。雨の日も、風の日も、イベントブースに立ってはふと、「あ、思いついた」と豆電球が頭上に浮かんでは、切れ端にメモをしたりする日も、あったことだろう(知らんけど)。 そんな怒涛の執筆活動を終えた、出来立てほやほやの当日に、この話を伺った。 山は高ければ高いほど登り甲斐がある。登ったものにしか見えない景色。無心でツーリストシップを描き、語り、したためたプロセスが、どんな観光地のそれをも凌駕する絶景を用意したに違いない。 「やっと終わりましたよ」 充実感、達成感に満たされた言葉だった。 田中代表の、まさに駆け抜けた直後のインタビューとして、発せられた言葉たちをそのまま列挙してみた。 ・書くことで考えがまとまった・時折書き直すことによって、描いていた考えがよりブラッシュアップされていった・私は何を目指しているのか、どういう世界を創りたいのかが、より鮮明になった・もう、これ以上ないくらいに書き切った・いま、解放感が心地いい・一つひとつ調べながら書いていったので、新しい知識も習得できた・構想していたものが言語化されていった・書かねばならないという緊迫感が、本来好きだった《書く》という行為を重たくもしていた 登ったものでしか語れない生(なま)の言葉たち。登るということは、まさにその人にとっての体験こそが価値ある経験となって、この先の血肉となることを意味していた。田中代表がまた一回り大きくなった気がした。 ツーリストシップは、寄り添うことと、交わり合うことを推奨している。せっかくの旅行を、もっと楽しいものに、もっとワクワクすることができるのに、ただ旅行するだけではモッタイナイ。そんな想いが田中代表にはある。 ここで面白い表現があった。 寄り添いと交わり合いには、順番がある。寄り添いが先で、交わり合いは、後。寄り添いが《マイナスをゼロに戻し》、交わり合いが《ゼロをプラスに》していくという。 うーん。聞いていて、分かったところと難解なところが同居している。詳しくは書籍で全て明らかになるのかもしれない。この深みもきっと、魅力の一つだろう。 執筆活動そのものによって、ツーリストシップが今まで以上に幅を持ち、深さを得たように見える。登った頂上の、そこでしか見せない景色は確かに素晴らしい。だが、例えば頂上から見た景色も、登る苦難をショートカットして、楽楽と見下げた場合、その景色は同じでも、心に映す重みや輝きはまるで違うだろう。 あえて言えば、書籍が世に出るということは、完成したことを喜ぶのではなく、雨の日も風の日も、常に考え模索し続けた、登山の苦難そのものにこそ価値があったとも言えるのではないか。書き終えた田中代表からの一言一言、その態度一つひとつにこそ、ツーリストシップが《書き連ねられている》のだろう。 なんだかんだ言って、手に取ってツーリストシップを手軽に《読むことができる》ことは、私たち読者にとってはこの上ない喜びだ。何と言っても、田中代表が登ったその苦しかったプロセスを体験できるわけだ。もちろん、書いたものにしか分からない景色を読者は手に入れることはできないが、共に感じ合うことはできる。共に共鳴し、語り合うことだってできる。まさに《寄り添い、交わり合う》ことが、書籍ができあがることで、より鮮明になるのだ。 寄り添い、交わり合うことの、ツーリストシップの醍醐味をこの手に取ることのできる日が、今からもう、待ち遠しい。

Vol.008 『8.6ツーリストシップサミット』が、“本質記念日”になる理由

私たちが一日のうちに、街中で目にする広告の数は4,000~10,000と言われている。 目まぐるしい広告の数は、言い換えれば狂おしいほどの「これ、買ってください」が横行する資本主義社会。 通販で購入した途端に、リコメンドが追い打ちをかける。これもある、それもある、あれもいい、これも、いい。息つく暇もない波状攻撃を前にして、私たち本来の意思はもしかすると蔑ろにされ、《買わされている》かもしれない虚しい実態を浮き彫りにする。 ネット社会、SNS効果によって便利になった社会の副作用であるとも表現できるが、実はここ最近になって言われた話ではない。江戸幕府の末期、大政奉還の5年前にドイツの労働運動家フェルディナント・ラッサールが、既にそれを指摘していた。 彼の主張はこうだ。本来は欲しいと思う人のニーズがあって初めて、供給や生産が生まれるもので、買う側が欲しいと求めるから作り手はそれを作り販売するという順番が正常である。だがそれはもはや逆転していて、生産と供給が欲求に先行し、作る側が買う側に対して、購買意欲を強制しているという主張だ。 つまりは、1862年当時から彼は既に、世界市場のためにモノが生産されていることを指摘していたのだ。欲しいから作るのではなく、欲しくなるようなものを作って、無意識にそれを選択させようという巧妙なマーケティングが昔から始まっていたわけである。 驚くべきは、そんな昔からもう私たちはずっと、「欲しいから買う」のではなく、「呼ばれたから買っている」操られたかのような生活を営んでいたということだ。それくらい、欲求に対して、生きることに対して、本質を射抜くことは難しい。数多ある誘惑との戦いでもあり、作る側と買う側との綱引きは今日も例外なく社会を動かしている。 目指すものは何なのか。今私は、何のためにこれをやっているのか。この本質的な解答になかなかたどり着けない私たちの有様も、ある意味頷くしかない。外からの刺激によって手足を動かしてきた私たちが、いざ「私たちから」その手足を動かす方法論を、もはや失って久しいわけである。 悲観論ではない。これは私たちにとって希望なのだ。世の中に出回る「買ってください」に、あえていえば《期待する必要はない》のだ。何が出回ろうとも、どんなノウハウが世に出ようとも、そのキャッチーな甘い蜜には、甘いなりの理由がある。そのことを胸に忍ばせ、本質を生きる可能性は、「買わされている」私たちだからこそ成し得る事だと思うからである。 8月6日の第二回ツーリストシップサミットは、本質と向き合う機会にする。私たちが心の底から、求めたいもの、得たいもの、到達したい高みを目指す。集まってくれる方々の笑顔を想像し、ツーリストシップを生きるという確かな選択肢は、私たちを揺さぶり続けるあの秀逸なリコメンドには決して検知されまい。だからこそ、開催する意義がある。 2023年8月6日は、私たちがその本質に向かい合い、求め合い、心が喜ぶ方を選択する記念日になる。その幕が切って落とされたのだ。 「お越しになる方々の笑顔をイメージすることから始めたい」 今夜もぎりぎり終電に飛び乗った田中代表の、静かな、けれど熱い決意表明だ。成功の方程式は案外単純だ。人が一日のうちに目にするであろう4,000~10,000の広告が、一切目に入らなくなった時が、サミットの成功を意味する。その日までのカウントダウンが、今夜ここで、打ち鳴らされたということだ。 京都大学の時計台。ツーリストシップという本質が、学問の社(やしろ)を、射抜く。 (1379文字)

Vol.007 ぶれない錨(いかり)をもつ、田中代表の生い立ち

前回取り上げたツーリストシップの行動指針「HARF」の文脈の中で、もう一つ興味深いやり取りがあった。一体ツーリストシップとはどういうものか、改めて生まれたその大きな問いに答えているうちに、話はやがて、田中代表の生い立ちに辿り着いた。 お父さんの仕事の都合で、田中代表は転勤族だった。行く土地がコロコロと変わる。その行動範囲によって柔軟性は身に着いた気がすると自覚しているが、同時に「郷土愛」のような、地元を愛するというような気持ちがどうも持てないという悩みだった。しかし、だからこそ、色んな土地に出向く旅への興味関心もまた、沸き起こったのだろう。 行く先々で出逢う、住民の方々の想いや苦悩も、却って身に迫るものがあった。そんなことを話していたら、ふと田中代表の声色が変わる。 そうか。私は日本に来る外国人に、この場所を荒らしてほしくないと思っている。荒らしてほしくない代わりに、私も外国に旅行に行ったら、絶対に荒らさない。これが、ツーリストシップが生まれた原点かもしれない、と。 だから「あなたにとってのツーリストシップは何ですか」という問いが生まれる。その問いは、田中代表の、転勤族だった背景と、行く旅行先で見聞きする課題感とが掛け合わさっている。やがてそれが、今日のバイタリティとして育まれる。 人間が生み出す夢、目標、渇望といったものは、恐らく個々の生い立ちや背景が色濃く反映される。それが原動力となって、自身を奮い立たせる。 田中代表もまた、その幼少期の体験を活かし、世界に向けての大海原の旅を志すに至った。団体の規模や活動の大きさが価値ではない。その描く志の、想い抱く生き様こそ価値であると、彼女の言動を見るにつけ、思うのである。 生き様を育む生い立ちというものは、その先の捉え方によって、プラスにもマイナスにもなる。そのことを、田中代表が、自らの心と体で表現している。 日頃見せるその笑顔は、その志が生み出している。彼女の心には、不動の錨(いかり)が、海の底に深く突き刺さっている。どうりで、ぶれないわけである。  (850文字)

Vol.006 ツーリストシップ行動指針「HARF」について

人間という生き物は奇妙なもので、「やってはいけない」と言われると、やりたくなる特性を持っている。 それは、年末恒例となった「笑ってはいけない」番組で、出演者が事あるごとに「笑い出す」あの有様を少しでも見たことのある方なら、想像は容易いだろう。ただあの番組は、無理やり笑わそうとしているので少し意味は異なるが、「してはいけないこと」に対して人間は、そのように「やってしまう」生き物なのかもしれない。 ツーリストシップが掲げる『具体的な行動指針』として、「HARF」というものがある。これは、鍵カッコも含んでの、それぞれの頭文字。Lという文字を回転させ、鍵カッコとして表現した、何ともシュールな行動規範だ。 旅行前に調べること、旅行中は元気な挨拶をすること、聞くこと、読むこと、守ること、そして旅の後、そこで体験したことを「活かす」こと。この6つになる。 様々ある標語は、良くも悪くも抽象度が高い。そこを田中代表は、わかりやすい形で、あえて「こうだ」と具体化した。賛否あるだろうが、この辺りはツーリストシップの普及を考えた、田中代表の愛情ともとれる気がする。 特にこの6つに優先順位があるわけではない。しかし田中代表が特に声を大きくしたのが、「元気な挨拶」だった。 スポーツでも社員教育でも、挨拶が大事だと、聞かない時がない。それくらいもはや、どこでも言われている標語に、あえてツーリストシップは「その意味」を説明する。 挨拶をする意味、それは、挨拶によって旅行中での恐怖心を取り払うことができるのだと。挨拶がないと、その人が何を考えているのか、どういう人なのかさえ入ってこない。恐怖心が先行すると、自己防御のために関係性が悪くなる。この悪循環は、「元気な挨拶」から取り除くことができる。だから、挨拶は大事なんだよという説明だった。 しなければならないことには、理由がある。その理由が、旅をする私にとって価値があり、意味がある。だから私たちは、そのことを行動に移す。「やってはいけない」ことを「やってしまう」くらいの、人間の厄介な特性である。理由なしで「やりなさい」を、素直に従うほど、人間は素直じゃない。だから「笑ってしまう」のかもしれない。 ゴミを捨てるなと言われても、「捨ててしまう」のが人間である。それくらい、他人から言われて実行することを嫌う。しかしそこに、私にとっての意味があれば、私事(わたくしごと)としての理由があれば、話は別だろう。そんな人間のメカニズムを田中代表は計算して「元気な挨拶」を掲げたのだろうか。わかりやすさは、わかりやすい意味とセットであることで行動が生まれる。その行動に影響力が生まれる。やがて、ツーリストシップが広がり出す。そのことに気づいた瞬間だった。 「HARF」という標語は、優しい意味だからこそ、深い意図を持っている。この言葉が修学旅行生や様々な方々に広がり、意味と共に深化拡大していくことを、願わずにはいられない。 しかしこの「HARF」というネーミング、何とも美味しそうというか、爽快感というか、清潔感漂う透き通った香りがこちらまで届いてきそうな、そんなオーラを感じる。 って、それはハーブやないかい! …ダダーん。たなか、アウト。 ライター 弓指利武 サウンド 井本ゆうこ

Vol.005 マラマ・ハワイで得たツーリストシップの重み

ある日、タクシーに乗ったとき、後部座席にこんなステッカーが貼られていたことに気づいた。 「今日も笑顔で対応します」 何と素晴らしいメッセージ、そして決意の高さだと思った。恐らくタクシー会社が全車両に揃えて貼っているものとはわかっているが、こうもしっかり宣言されると並の笑顔では許されないなあと思って、頼もしくも感じ、悠々と乗っていた。 その直後である。横から飛び出してきたバイクを見て急ブレーキ、その瞬間、「チッ」という舌打ちの音が運転手の口から発せられた。何ともバツの悪い空気が室内を漂った。誇らしげだったあの大きなステッカーが、余計にむなしく、そして小さく見えた。 人は、うたい文句の凄さと現実との乖離を感じたとき、がっかりする。 そのギャップがない状態、いわば「言行一致」であればあるほど、安心感を覚える。何事もマッチすること、心のフィット感が大事である。 2月4日、第二回のツーリストシップ新年会を終えてすぐ、田中代表は実妹と二人でハワイ旅行に出かけた。単なる旅行ではない、「マラマ・ハワイ」を体感するためだ。 「マラマ」とは日本語で「思いやりの心」を意味する、ハワイ観光局が掲げているスローガンだ。まさにツーリストシップのマインドを鮮明に宣言しているその地を実際に訪れ、肌で感じたい。その想いが田中代表を突き動かした。事実、行ってみて気づいたことは多かった。 シュノーケルではウミガメにも遭遇し、一旅行者としてハワイを満喫した。出会う食事、景色、そしてウミガメ。世界有数の観光地であることも、また日本人に最も愛される海外の観光地の一つであることも、納得がいく。どれも魅力で満ちていた。しかし意外にも、ハワイで得た大きな価値は、準備された観光スポットに限らなかった。 やはり、「ひと」だったのである。 2人でビーチバレーをしていた。姉妹水入らずの時間は心地いいものだった。しかし、もっと楽しみたい、そして、出会いたい。心が動き、声をかけた。一緒にビーチバレーしませんか。快く加わってくれた。よし、一緒にやろうじゃないかと。 ハワイに用意された観光名所はパンフレットを見れば明らかだ。準備された感動は、それはそれで旅行者の胸を躍らせる。しかし、実際にその場に立ち、そこで起こるイベントは、ほぼ予期できたものではない。偶然出会った観光客と、ビーチバレーができるなんて、もちろんパンフレットには書かれていない。 結果その戦いは白熱、3セット全て田中姉妹の勝利。まさに手加減無し、真正面からアタックを続け、相手を揺さぶった。 そのやり取りを聞いて、私が思ったことがある。マラマに込められた「思いやりの心」とは、そこに用意されたものというよりも、その場で出会い、触れ合った時に起こるものだということだ。 あの日私がタクシーの後部座席で見たものは、確かに宣言され、約束された誇り高きメッセージだった。しかしその約束は、そのたった一瞬の舌打ちでもろくも崩れ去った。これくらい、言葉というものは威力があり、またもろくはかないものなのだ。 きっと田中代表は、だからこそ、マラマという言葉の重みを感じたことだろう。そしてまた、ツーリストシップがもつ可能性とリスクもまた、彼女の両肩に圧し掛かったことだろう。ハワイで得たのは、その重みと可能性だったのではと、聞きながら感じた。 だからこそ、ツーリストシップが今推し進めているブースの出店が意味を持つ。現地で出会う一人ひとりと語り、膝を突き合わすことの価値は、ハワイで得たビーチバレーがそれを物語っていたからだ。 「思いやりの心」を表現できる場は、あのタクシーの後部座席にはなかった。あったのは、ハワイに立った実際の体験であり、ビーチボールを本気で打ち付けたその、たくましい右腕と、ジンとする掌だったに違いない。 体験というものの大切さ、言葉の重みというものの大切さを、ハワイで得た3泊5日だった。

Vol.004 キムチチゲ鍋がどうしてこうも、美味しく感じられたか

肉、野菜、魚介類を鍋に放り込み、グツグツと煮込む。そこに辛口の白菜キムチを入れれば、キムチチゲ鍋の完成だ。 4日間の嵐山での出店を終えた田中代表は、その後に食べたコンビニのキムチチゲ鍋の味が忘れられないそうだ。特筆して秀逸だと感じたのは、その価格の安さ。こんな素晴らしいクオリティを、この価格で味わえるのか。田中代表の記憶に、キムチチゲ鍋が深く刻まれた瞬間だった。 鼻息荒い田中代表の、そのチゲ鍋で得た幸福感は、確かにコスパもあるだろう。しかし4日間の寒空で、観光客と向き合い、共に汗を流したからこその、いわば山頂で食べるおにぎりが美味しく感じられる、あの感覚に似ている気がする。その感動は、実はその味ではない。乗り越えた体験であり、触れ合った人の温かさだ。 4日間の嵐山で、こんなことがあった。 ツーリストシップの男性スタッフの指が、寒さと乾燥でぱっくりと割れて「血だらけになった(田中代表)」。それでも笑顔を絶やさず、ただ真っすぐに触れ合うスタッフの、その姿勢が人を動かした。 痛む指には目もくれず、観光客に寄り添う彼に、ある外国人観光客がそっと、絆創膏を手渡した。しかも一度その場を去ってから、わざわざ戻ってきて、絆創膏を手渡して帰っていった。  どこかの薬局で買ってくれたのだろうか。それとも、どうしても気になって、葛藤の末に思わず戻ってきてくれたのだろうか。理由はともかく、その葛藤さえも、人間味があり、愛があり、何とも言えない温かい気持ちが心を包む。 便利な世の中になり、何でも自分の狙ったものが、狙った通りの結果になるものだと、どこか私たちは当たり前のように決め込んでいる。しかし本当にそうだろうか。何が面白くて、何がきっかけで、果たしてどうなっていくかなどを、正確なロジックで答えた歴史はそう多くはない。4日間の嵐山での出店、そこで出逢った観光客の皆さんとの触れ合いは、すべてが予想外であったはずだ。田中代表が、キムチチゲ鍋の味が忘れられない理由もそこにある。そこで得た偶然のプロセスが、普通のキムチチゲ鍋を「今ここでしか味わえない」至極のご馳走に変えたのだ。 ちなみにCOOKPADさんによると、キムチチゲ鍋を濃厚にしたい場合は、納豆を入れると驚くほどコクがでるそうだ。キムチと納豆の融合、今でこそ普通の話だが、当初は誰もが耳を疑うほどの異色の組み合わせだったことだろう。現在の常識は、過去の非常識の積み重ねから生まれている。そういうことを、田中代表は、キムチチゲ鍋から学び取ったと書いたら、それはさすがに、言い過ぎだろうか。 

Vol.003 ツーリストシップの難しさと、だからこその意義に触れた淡路島ツアー

今更ながら改めて思うことがある。これをご覧いただいている「あなた」という存在の、奇跡の凄味である。 この一般社団法人ツーリストシップWEBサイトの、ツーリストシップとは?というサイトの、更に「もっと詳しく知りたい方は」の3つのサイトの中の1つがここなのである。森の中をかき分け、いくつもの好奇心の障壁を乗り越え、今ここにたどり着いた、まさに辺境の旅、奇跡の出逢いに立たんとする、あなたの存在感の大きさを思うのである。 ツーリストシップメンバーが、まさにツーリストシップを体現するべく、自らが旅行者として淡路島を訪問した。“This is TOURISTSHIP“よろしく、観光客の目線で観光地を巡り、そして観光客を出迎える方々とも対面し、議論を重ねる。 「すぐ忘れちゃう、ツーリストシップを。」 充実の2日間を振り返り、田中代表はこう呟いた。広める本人が何を言い出すか、という批判はむしろ野暮である。この正直な実感との出逢いこそ大きな価値であることを、声を大にして言いたい。 出逢う観光客の方に積極的に話しかけ、写真撮影をお手伝いした。誰にでも挨拶をし、京都みやげのお菓子を振る舞いもした。気合満点で向かった淡路島での二日間でさえ、「すぐ忘れちゃう」のである。まさに観光客目線に立った本音であり実感が、伝播の起点になる。だから、ツーリストシップの意義が際立つのである。  出向いたことで初めて知ったことがある。都会の観光地よりも、自然あふれる山間のそれの方がむしろ、放置されるごみが多い。街中だとボランティアの方々が活動しやすいが、山の中だとそうはいかない。何年も置きっぱなしのゴミが多い理由はそれである。  観光客を出迎えるホテルの従業員の方々も、ツーリストシップのメンバーだ。総支配人とのお話で分かったことは、従業員の方が何よりも嬉しいのは、部屋に設置されたメモに一言、誰のどんなサービスが良かったか、ちょっとでいいので書いてくれれば、明日への活力になるそうだ。一つひとつの出逢いの連鎖、小さくも尊い、奇跡の凄味ではないか。  出逢うことで分かったこともある。「写真撮りましょうか」と急接近しては警戒される。「私たちも撮ってほしいので」と一言添えると、そうですかと胸襟を少し開いてくれた。こんな一つひとつは、その場に行って、やってみないとわからないことだろう。 一つひとつが出逢いであり、奇跡の凄味に違いない。「忘れちゃう」からこそ、ツーリストシップがある。その価値に触れられた2日間だった。森の中をかきわけて“ここ”に来てくれた、そう、あなたもまた、しかりである。

Vol.002 ブース出店で、ツーリストシップを広げる価値

ドシーンとしてる。  冒頭から悪ふざけを企んでいるわけではない。この、端的で明快な感動詞が、今後ツーリストシップが最も重要視する音であり、詩(うた)である。上から重たいものが落ちてきた音でもなければ、ある日の私が痛恨の親父ギャグを全開させ、こんなにもシーンと静まり返ることがあるのかという、そんな痴話話をさらけ出したいわけでもない。この音こそが、田中代表の想いを表す、現場に根付く痛恨の感動詞なのだ。  選ばれなければ 選べばいい  国民的大ヒットしたアニメ「鬼滅の刃」。その主題歌『残響賛歌』の一節だ。何かと「認証」に目がいき、スケールメリット偏重になりがちな昨今。大事なのは何かのお墨付きや誰かに選定される価値ではなく、私自身がそれを手に取り、自らが求め続ける胆力である。ツーリストシップは今、自らの足と耳で、本気で現地に根を張り、一人一人の声に寄り添おうとしている。選ばれる必要はない、ツーリストシップがその行動を「選び」、コミットする。  毎月7日間をかけ、ツーリストシップを伝える。観光客一人ひとりに声をかけ、どこから来たのか、何を求めているのか、まさに対話形式で関わり合う未曽有の企画だ。クイズを交えて楽しい旅行の1ページに加えてもらうだけでなく、対話するからこそできるツーリストシップの意義を感じてもらう。 企業スポンサーも月額5万円で募る。企業が観光客に聞きたい事を、まさに対話形式で聞ける贅沢な時間を思えば、決して高い買い物ではない。この地に訪れる一人一人への、渾身のフィールドワーク。着色なし、飾り気無の、体を張ったマーケティングであるから、気合が違う。彼女が思わず口にした、「何て言うかその、ドシーンとしてるんですよね、向き合う事って。しっくり感があるというか。ちゃんと出逢いたいというか」という言葉も、頷くしかない。 『残響賛歌』には、他にこんな歌詞がある。 この先どんなつらい時も 口先よりも胸を張って 抱いた夢の灯りを全部 辿るだけ 逃げ出すために ここまで来たんじゃないだろ? 一人一人に向き合い、安きに流れず、その場に根ざし、堂々と胸を張って行動することこそ、ツーリストシップが本当の意味で広がる何よりの最善手であることを、既に田中代表は見抜いていた。これが世界で回り始めた時、ドシーンという音は『残響賛歌』にも引けを取らない、太くて深い、詩(うた)になる。